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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和46年(行コ)1号 判決

控訴人 金沢大学医学部長

代理人 中村盛雄 外四名

被控訴人 上島弘嗣 外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人両名の本件訴えはいずれも却下する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

(当事者適格について)

一、控訴人は、被控訴人らが本件受験申請の根拠とする医学部の「科目試験に関する内規」は法規たる性質を有しないものであるから、被控訴人らの本件申請は行訴法三条五項所定の「法令に基づく申請」とはいえず、したがつて被控訴人らは本件不作為の違法確認の訴えを提起するにつき当事者適格を欠くと主張するのである。

不作為の違法確認の訴えにおける原告適格については、法令に基づく申請をした者に限るか、それとも申請権限の有無にかかわらず現実に申請した者をいうかにつき議論のわかれているところであるが、当裁判所は申請権限の有無は、右訴えにおける本案の問題であつて、現実に処分又は裁決について申請した者であれば右訴えについて正当な当事者であると解するものである。

すなわち不作為の違法確認の訴えは私人が法令上一定の申請事項について申請することが認められている場合において、行政庁の右申請に対する応答の遅延ないし不作為状態が違法であることの確認を求め、もつて申請権者の救済をはかることを目的とする制度である。したがつて、右制度の趣旨からいつて、法令上申請権限のない者の申請については行政庁はこれに応答する義務(何らかの処分をすること)はないが、一定の申請事項が実質的に法令上の根拠を有するかどうかの判断はかならずしも容易ではないのであつて、行政庁が一定の申請に対して応答しないという不作為も、すでにこのような法令上の根拠についての第一次的判断を経たうえのことであつてみれば現実の申請者が本件訴えによつて求めているものは、まさにこのような行政庁の不作為についての第一次的判断が法令上如何なる実体的評価をうけるべきかについての裁判所の判断であるということができるのである。

しこうして、原告適格は、原告が特定の訴訟物についてその存否を確定する判決をうけるに値するだけの利害関係人であるかどうかという観点からその有無が決められるものであるから、不作為の違法確認の訴えについて考えてみると、法令上一定の申請事項に関し現実に申請をした者であれば、行政庁が右申請事項に対応する何らかの処分をしないことが違法であるかどうかの判断を求めるだけの必要ないし利益はあるものということができ、また当該申請者の右のような利益は不作為の違法確認の訴えの制度を設けた趣旨に十分相応するものと解せられる。行訴法三七条が「不作為の違法確認の訴えは、処分又は裁決について申請をした者に限り、提起することができる。」と規定しているのは、申請権限があつても現実に申請しない者は右訴えを提起することは許されないが、法令上一定の申請事項につき処分又は裁決について現実に申請した者であれば右訴えを提起するにつき正当な当事者たり得る者と認めた趣旨であると解するのが相当である。

二、ところで、被控訴人上島が昭和三八年四月、同五藤が昭和三九年四月金沢大学医学部へ入学し、その後現在に至るまで同大学学生の身分を有していること、そして、被控訴人らが昭和四五年七月二一日付をもつて控訴人に対し法医学科目の試験受験申請をしたことは当事者間に争いがなく、さらに、被控訴人らは右申請は学校教育法、金沢大学医学部の「科目試験に関する内規」1、3項を根拠とする旨主張しているのであるから、被控訴人らが本件訴えについて当事者適格を有するものというべきである。

三、なお、控訴人が本件訴えの相手方として正当な当事者であることについては、当裁判所もこれを肯認するものであつて、その理由は原判決記載の理由(原判決一六枚目表三行目ないし一七枚目表二行目まで)と同じであるからこれを引用する。

(司法審査権について)

控訴人は、「被控訴人らと金沢大学との間には公法上の特別権力関係が成立するものであつて、特別の法律原因に基づき公法上の特定の目的のために必要な限度において法治主義の原理の適用が排除され、具体的な法律の根拠に基づかないで包括的な支配権の発動として命令強制がなされる。本来、市民法秩序の維持を使命とする司法裁判権は学校利用関係における内部事項に属する事柄は、それが一般市民としての権利義務に関するものでない限り司法裁判所の対象から除外されるものと解すべきである」と主張する。

講学上のいわゆる公法上の特別権力関係なる概念が、一般権力関係において妥当する法秩序とは異なる特別の法律関係の成立することを明らかにした点で功績のあることは否定できないが、しかし、特別権力関係において発動される諸々の処分について司法審査権がどの範囲にまでおよぶかについては必らずしも判例学説上も一致しているわけではないのである。すなわち、特別権力関係における行為が純然たる内部的なものと、一般市民法秩序に関係するものとに区別し、後者についてのみ司法審査のおよぶことを肯定する考え方が一般的といわれるのであるが、特別権力関係におけるある特定の処分が、一般市民法秩序上の権利自由の侵害に関わるのかどうかについては抽象的にも具体的にも一義的にも容易に決定し難いところであるし、まして一般市民法上の権利、自由の概念が歴史的に形成されるべき性質と内容を有することに思いをいたすと、特別権力関係内の行為であるからという理由だけで原則として司法審査権を排除するものとする根拠としては十分合理的でないといわざるを得ない。もちろん、司法審査権は特別権力関係内部のすべての紛争についておよぶと考えることも相当ではないが、しかし、その理由は特別権力関係においては、これを成立させている特別の法律原因に基づく特定の目的を達成するために必要な範囲において行政庁に自由裁量権が認められているので、裁判所は右裁量権の行使を尊重しなければならないからと解せられる。もつとも、右裁量権の行使が前記の特定の目的を達成するうえで憲法上も法律上も果して合理性を有するものかどうか、あるいはまた、自由裁量権の行使に濫用がないかどうかについては本来の司法審査の対象となつているということができる(行訴法三〇条参照)から、右裁量権の尊重といつても、右のような司法審査権の行使の結果、判定された判断の内容であつて、司法審査権の行使前に右のような判断が先行しているわけではないといえよう。

以上要するに、特別権力関係内における特別権力の発動である諸行為に対して、例外的にしか司法審査権を認めない立場と、包括的にこれを肯定する立場があるわけであるが、当裁判所は、憲法および行訴法が公権力の行使について国民の権利救済を一般概括的に保障する建前を活かすには、少くとも市民法秩序に関連する行為に対しては司法審査権がおよぶものと解するのが相当ではないかと考えるものである。

右の次第で、被控訴人らと金沢大学との間に公法上の特別権力関係の成立することは肯認し得ないではないが、被控訴人らの本件受験申請の法的性質を検討してみると、右申請は学校教育法六三条一項、金沢大学通則六条、同大学医学部規定七条一項、九条等の諸規定に照らし一般市民秩序と密接な関連のあることが窺われるのであつて、このような観点からすれば、控訴人の立場を前提するにしても、本件受験申請を大学内の純然たる内部事項にすぎず、一般市民権とは無関係であるとする控訴人の主張は首肯し難いといわざるを得ない。

(本件訴えの利益について)

控訴人は、被控訴人らの本件受験申請に対してはすでに却下処分をしているので、本訴請求は理由がないと主張する。

一、よつて審案するに(証拠省略)を総合すると以下の事実を認めることができる。

被控訴人らを含む金大医学部学生四七名は、被控訴人上島を代表として昭和四五年七月二一日同学部井上剛教授担当の法医学科目の試験受験申請書を教務係長金戸為次を通じ控訴人宛提出しようとしたところ、同係長から担当教授の認印のないものは申請書として不備であると指摘され、右申請書の受理を断られたものの、同係長と押問答の末漸く控訴人の手元に届けられた。ところが、控訴人は右金戸係長に対し、被控訴人ら提出に係る申請書は担当教授の認印がないので不備であるから直ちに返却するようにと指示し、これをうけて同係長は同年七月二五日被控訴人上島の立寄先を訪ねて、右書面を手渡そうとしたが、同人に会えなかつたため果せなかつた。ところが、同被控訴人が同月二七日大学事務局に出頭してきたので、金戸係長は被控訴人上島に対し右申請書を直接手交し返却しようとしたが、同被控訴人がこれをうけとることを拒否したため、同係長はやむなく、そのまま右申請書を保管することとなつた。

ところで、被控訴人らを否む前記学生らは、すでに提出ずみの受験申請書に対し控訴人側から正式に何らの応答を得ないのみか、かえつて控訴人側が被控訴人らの申請は手続上不適法であり、申請行為そのものも存在しないものであるとの解釈がなされている旨聞知したので、ここに控訴人に対し本件受験申請はなされているものであることを明確に意思表示するため、同年一二月一四日被控訴人ら学生個人名別の同日付申請書を控訴人宛郵便で送付し、右各申請書はその頃控訴人に送付された。控訴人はこれに対し昭和四六年一月二二日付の医学部長石崎有信名義をもつて被控訴人ら学生宛、被控訴人らの郵便による前記受験申請は担当教授の認印を得られないので不備であり、学生各個人が井上剛教授の認印を得るようにとの趣旨の文書を発送し、被控訴人らに応答した。

その後、控訴人は、さらに昭和四六年三月一三日付の速達郵便をもつて被控訴人ら学生に対し、控訴人としては担当教官の承認印を得ない受験申請書の提出によつては試験を実施する意思はない旨を記載した文書を送付し、右文書はその頃被控訴人ら学生に到達した(右文書が被控訴人らに送付されたことは当事者間に争いがない)。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二、右認定事実によれば、

(一)  控訴人が昭和四五年七月二七日金戸教務係長を介して被控訴人上島に対し同月二一日付の本件受験申請書を返却しようとした行為は、右申請に対する却下処分と解することはできない。何となれば、控訴人は右申請書の返却に際し、被控訴人らに対し本件受験申請には応じ難い旨の意思表示を明らかにしていないばかりでなく、むしろ単に右申請書の不備を補正するよう命じたにすぎないとしかうけとれないふしがあり、さらに被控訴人上島が右申請書の返却に対し異議を述べて、右申請書のうけとりを拒否したことにより、申請書は結局金戸係長のもとにひき続き保管されることになつたのであるから、右のような申請書の返却行為だけでは被控訴人らの右申請書による本件受験申請書による本件受験申請に対し控訴人が何らかの最終的な意思表示をしたものと解することはできないからである。

(二)  次に、控訴人が被控訴人らに対し昭和四六年一月二二日付で送付した「試験申請について」と題する医学部長石崎有信名義の書面が行政行為として如何なる意義を有するかにつき検討するに、先ず、前示認定のように、右書面の要旨は、担当教授の認印のない受験申請書は不備であること、したがつて、右申請書は返却するので担当教授の認印を得てもらいたいというにある。

ところで、控訴人の右書面は、被控訴人ら学生が昭和四五年一二月一四日付をもつてなした郵便による各学生の個人別の受験申請に対し応答したものであるが、被控訴人ら学生の右郵便による受験申請は、同人らのなした昭和四五年七月二一日付の書面による受験申請の意思表示を単に明確にするためになされたにすぎず、別個独立の申請行為ではないことは当該申請書の趣旨および提出の時期等に照らし明らかというべきであるから、控訴人の昭和四六年一月二二日付書面は被控訴人らの前記昭和四十五年七月二一日付の受験申請に対する応答行為でもあると解することができる。

しこうして、控訴人側では従来本件受験申請については、担当教授の認印のない申請書は手続上不備であることを強調していたこと、そして、それ故に口頭により、また前記書面により右申請書を返却するものである旨述べているのであるから、担当教授の認印のない申請の提出によつては、当該申請科目の試験の実施に応じ難いとの趣旨の意思表示であると解し得る余地がないではない。しかしながら、申請書の返却行為が直ちに申請行為に対する拒否処分であると速断することの許されないことは、すでに口頭による申請書の返却行為の意義について述べたとおりであつて、さらに、控訴人が当該書面において、被控訴人ら学生に対し担当教授の認印を得てもらいたいと付言した趣旨は、被控訴人らの提出にかかる申請書の不備を補正するようにと勧告し、右勧告に応じない場合にはじめて申請を却下するとの警告を言外に含めたものとも解することができ、何れとも一義的に決定し難い内容の書面といわざるを得ないのである。

したがつて、控訴人の昭和四六年一月二二日付書面は、被控訴人らの本件受験申請に対する応答行為としては必らずしも明確ということができず、まして、行訴法三条五項にいう「なんらかの処分」がなされたものとは到底解することはできない。

(三)  そこで、控訴人の被控訴人ら学生に対する昭和四六年三月一三日付の書面による応答について考えるに、右書面によれば、控訴人は担当教官の承認を得ない受験申請によつては当該申請科目の試験を実施する意思はない旨明記していることが認められるから、控訴人は右書面によつて、はじめて被控訴人らの昭和四五年七月二一日付および同年一二月一四日付の申請書による本件受験申請に対し右申請には応じ難い旨の却下処分を表明したものと解することができる。

三、してみれば、被控訴人らの本件受験申請に対する控訴人の不作為の状態は、控訴人の前記昭和四六年三月一三日付の却下処分により解消したものというべきであつて、被控訴人らの本件訴えはいずれもこれを維持遂行すべき具体的利益は消滅したものといわなければならない。よつて、本件訴えは本案について審理するまでもなく、いずれも不適法として却下を免れない。

(本件訴えの変更申立ての適否について)

被控訴人らは、本件不作為の違法確認の訴えが不適法とすれば、予備的に本件受験申請に対する控訴人の昭和四六年三月一三日付却下処分の取消請求を追加併合(訴えの変更)する申立てをなし、控訴人が右訴えの変更について行訴法一九条一項、一六条二項により同意しない旨陳述したことは本件記録に徴し明らかであるので、以下被控訴人らの本件訴えの変更の申立ての適否につき検討する。

一、行訴法三八条、一六条、一九条は、不作為の違法確認の訴えには右訴えの口頭弁論の終結に至るまで(すなわち控訴審においても)関連請求に係る訴えを併合して提起することができる旨規定している。ところで、不作為の違法確認の訴えの係属中に拒否処分についての取消訴訟を併合して提起し、これと同時に前者の訴えを取下げれば取消訴訟だけが審理の対象となるのであるから(前者の訴えが敗訴を免れないとすれば予備的に後者の訴えを併合提起する場合も同様である)、訴訟法的にはこのような追加的併合の訴え提起は訴えの変更の申立てと同じであるということができる。そして、行訴法一九条二項は、抗告訴訟における訴えの変更については民事訴訟法の規定に則つてもこれをなしうる旨定めたものと一見解し得る余地を残しているかに見えるのである。

しかしながら、行訴法は行政事件訴訟の特質に鑑み民事訴訟法とは別個独立の立場から抗告訴訟における請求の客観的併合はあくまでも同法一三条所定の関連請求に該当する場合に限りこれを許容することとし、そして新訴は旧訴と併合して審理されることを建前としているのである。ただ、関連請求の客観的併合が認められた場合でも、必らずしも旧請求(抗告訴訟)の訴訟係属を必要としないこともあり得るから、このような場合関連請求に係る訴えの提起と同時に旧訴が取下げられれば、訴えの変更と同様の結果が生じ、従来係属していた抗告訴訟における訴訟資料および証拠資料は当然そのまま関連請求に係る訴えの手続に引継がれることは行政事件訴訟においても何ら差支えないと考えられる。行訴法一九条一項所定の関連請求に係る訴えの追加的併合は本来このような訴訟状態の承継を予想していないのであるが、同条二項は請求の変更と同一の結果をもたらす関連請求の併合提起も何らこれを排斥すべき理由はないとしてここに念のため民事訴訟法における訴えの変更の規定の例によることを妨げないと規定したもの解されるのである。したがつて、右規定は関連請求に係る訴えの提起について、右提訴が訴えの変更と同一の結果をもたらす場合を何ら排斥するものではないというだけで、提訴の要件等についてまで民事訴訟法の準用をみとめたものと解することはできない。

右の次第で、関連請求に係る訴えを追加的に併合提起するには、それが訴えの変更となる場合であつても、新訴が先ず係属中の抗告訴訟の関連請求に該当することを要するものというべきである。

二、そこで、追加的併合提起に係る本件却下処分の取消しの訴えが本件不作為の違法確認の訴えの関連請求に該当するかどうかにつき考えるに、行訴法が関連請求の規定を設けたのは抗告訴訟に関係のある請求を併合して審理の重複、裁判の矛盾牴触を避け同一処分に関する紛争をできるだけ同一の訴訟手続で一括処理するのが適切とする趣旨であると解せられるから、関連請求に該当するかどうかについても右のような観点から判定すべきである。

不作為の違法確認の訴えは申請権者の申請に対して行政庁が相当期間内に何らかの処分をしないこと(不作為)が違法であることの確認を求めることを目的としているのであるが、本来、行政庁の右不作為は単なる事実又は事実状態にすぎないにもかかわらず、行訴法三条は、これを広く「行政庁の公権力の行使に関する」違法な事実状態であると観念し、申請権者の権利救済のためにこのような行政庁の不作為が違法であることを確認し、もつてその違法な事実状態の解消をはからんとしたものであることがうかがわれるのである。したがつて、行政庁の不作為は単なる事実状態ではなく、行政庁の消極的にせよ法律的評価可能な広義の公権力の行使の一態様と解することができよう。

ところで、処分の取消しの訴えは、行政庁が申請権者の一定の申請事項を拒否した処分が違法な公権力の行使であるとして、その取消しを求めるものであつて、行政庁が申請権者の申請事項について従前不作為という消極的意識における公権力の行使によつてこれを拒否する態度を表明していたのを、明示的な処分によつてこれを拒否したものと解することができる。したがつて、行政庁の当該申請に対する拒否的な公権力の行使の発動としては、両者を通じ基本的には同一であり、ただ公権力の行使の態様を異にするにすぎない。

もつとも、申請権者の申請に対する行政庁の不作為の実体には右申請に対する認容又は拒否(そのものの中にも、申請事項に対する実質的拒否と申請自体の拒否の双方を含むこともちろんである)あるいは無視のいずれかの態度を含むことは確かであり、不作為の違法確認の訴えは、右不作為の実体ではなく、不作為そのものの違法性の評価を問題としているにすぎないのであるが、不作為の違法確認の訴えに拒否処分の取消しの訴えを併合提起した場合における両者の訴えにおける関連性を合目的的にとらえれば、不作為と作為という公権力の行使の態様および行使の時期に差異はあれ、ともに申請権者の申請を拒否している行政庁の行為が違法であることを主張する点にこれを求めることができるものと解すべきである。

よつて、拒否処分の取消しの訴えは不作為の違法確認の訴えの関連請求に該当するもの(行訴法一三条六号)と解することができる。

三、被控訴人らは、行訴法一九条二項の規定を根拠として、本件訴えの変更については、当該不作為の違法確認の訴えが高等裁判所に係属中であつても行政庁である控訴人の同意を必要としないと主張する。

同法三八条、一九条二項の規定が、抗告訴訟における訴えの変更についてはすべて民事訴訟法二三二条の規定を準用する趣旨であるとすれば、民事訴訟法において高等裁判所(控訴審)に係属する訴えの変更に際しては相手方の同意を必要としないことから考えて、被控訴人らの右主張も首肯し得ないではないが、前記のとおり、行訴法一九条二項の趣旨は被控訴人ら主張の趣旨と異なるばかりでなく、行訴法の関連請求の併合、追加、変更に関する諸規定(同法一六条ないし二一条)を総合して考察すると抗告訴訟が高等裁判所に係属しているときに関連請求の併合等の提訴がなされる場合には行政庁の同意(審級の利益を保障したものと解される)が無視できない要件となつていることがわかるのである。

もつとも同法二〇条所定の併合の場合には右要件は除かれているが、その理由は、裁決の取消しの訴えを提起した者が右訴えに原処分の取消しの訴えを併合提起する場合、出訴期間の徒過等によりその者の権利救済の機会を失することがないようにと配慮したためであり、また同法二一条所定の訴えの変更においても行政庁の同意は要件とはされていないが、この場合は旧訴における訴訟物のみならず、当事者の一方も交替するのであるから、民事訴訟における訴えの変更の制限とは異質のものということができるのであつて、それ故に特別の配慮がなされている(同条三項)。

このように行訴法が行政庁の審級の利益を考慮しているのは、民事訴訟法における訴えの変更が請求の基礎に変更がないことを要件としている関係上、新訴と旧訴との間に事実資料の利用等において、第一審、控訴審を通じはじめから審理を一体として継続させ得るだけの保障のあることが前提となつているため、審級の利益を問題とするだけの実益に乏しいのに対し、抗告訴訟における請求の追加的併合の場合には新訴が現に係属する抗告訴訟の関連請求に該当するかどうかが、その要件とされているため、制度上民訴法におけるような保障がないからであろう。もつとも、個々具体的訴訟において審級の利益が必らずしも害されない場合のあることは予想され得るが、しかし、そのことと抗告訴訟における追加的併合の要件として制度上行政庁の同意を必要とすることとは何ら矛盾するものではない。

したがつて、被控訴人らが本件訴えの変更については控訴人の審級の利益は何ら害されないと主張することには理由がない。

このようにみてくると、行訴法一九条二項の規定は、同条一項後段に規定する請求の追加的併合の場合には行政庁の同意を要件とする定めを何ら無用に帰せしめるものではないといわなければならない。

被控訴人は仮に本件訴えの変更には行政庁である控訴人の同意が必要であるとしても、控訴人が当審において不同意であると述べること自体信義則に反し許されないと主張する。

しかし、被控訴人らの主張にかかる事実関係を仮に前提とするにしても、控訴人の右不同意の陳述が直ちに信義則に反するとは断定し難く、その他に信義則に反すると認めるに足りる証拠はないから、被控訴人らの右主張は採用することができない。

以上の理由により、被控訴人が当審において本件不作為の違法確認の訴えを本件受験申請に対する拒否処分の取消しの訴えに変更するには行政庁である控訴人の同意を要するものと解すべきところ、控訴人は右変更に同意しない旨陳述しているのであるから、結局被控訴人らの訴えの変更の申立ては効力を生ずるに由なく、不適法として却下を免れない。

(むすび)

以上の次第で、被控訴人らの本件不作為の違法確認の訴えは、訴えの利益を欠くものとして不適法というべきであるから、当裁判所の右判断と結論を異にする原判決を取消し、被控訴人ら本件訴えをいずれも却下することとする。そして、訴訟費用の負担につき一考するに、被控訴人らの本件訴えが不適法となつたのは、すでに述べたように、控訴人が本件第一審判決の言渡後である昭和四六年三月一三日被控訴人らの本件受験申請を却下する処分をなしたことにより本件受験申請に対する控訴人の不作為が解消されそれがため本件訴えの利益を欠くに至つたものであつて、その原因は控訴人の側にあるものというべきである。よつて、被控訴人らが本件訴えを提起し、さらに控訴審において防禦につとめることを余儀なくされたことはまことにやむを得ないものがあると解せざるを得ない。よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、九〇条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 中島誠二 黒木美朝 山下薫)

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